한복남 경복궁점
서울특별시 종로구 사직로 133-5
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KORLENS キュレーション한복남은 함께 만들어가는 한복 놀이 문화를 만들어 가는 문화엔터테인먼트 기업으로, 새로운 프로젝트와 상품을 선보이기 위해 노력하고 있다.
한복남 경복궁점은 지하 1층부터 지상 3층까지의 규모에 1000여 벌의 한복을 다양한 디자인과 사이즈로 보유하고 있다.
한복남은 함께 만들어가는 한복 놀이 문화를 만들어 가는 문화엔터테인먼트 기업으로, 새로운 프로젝트와 상품을 선보이기 위해 노력하고 있다.
한복 입혀주는 남자 '한복남'은 미처 몰랐던 한국의 재미있는 모습을 보여주는 공간이다.
場所の紹介
位置
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韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
光化門(クァンファムン)、激動の近代史 世界中から訪れた観光客を迎える韓国ソウルのシンボル的存在、光化門。その歴史は古にまで遡り、当時から政治と文化の中心となる場所でした。しかし、日本が植民地支配のための準備を着々と進めるなかで、ここ光化門にも暗雲が立ち込めます。 1910年、日本は朝鮮を植民地として統治するための行政体制を敷き、これを総括する総督を任命します。そうして、総督が指揮を執る期間・朝鮮総督府がその中心となって、植民地化が本格的に進められました。1916年には朝鮮の精神と文化を抹殺するため、王宮・景福宮(キョンボックン)の正門である光化門を移設します。さらには塀と建物を取り壊して、この場所に朝鮮総督府を建設しました。こうして1926年に完成した朝鮮総督府は景福宮を完全に覆い隠し、帝国主義の植民地統治を象徴する建物となりました。 その後1945年、朝鮮は植民地支配からの独立を果たします。この時、ソウルには米軍が駐屯し、かつての朝鮮総督府が米軍政庁として使用されるようになりました。この頃、上海から帰国した大韓民国臨時政府の主席、金九(キム・グ)は、米軍、そして後の韓国初代大統領となる李承晩(イ・スンマン)と共に、米軍政庁で開かれた会議に出席。こうして、韓国独自の単独政府が樹立しました。その後韓国政府は、この場所を、大統領執務室をはじめとする行政省庁のある「中央行政官庁」として、この場所を使用しました。 1986年からは、この建物が「日本帝国主義の侵略の象徴的な建物」という見方が強まり、国の行政省庁は移転。その後はしばらく、国立中央博物館として使用されました。1993年からは建物解体に関する議論が本格的になされるようになり、植民地支配からの解放50周年を迎えた1995年、ついに撤去が始まりました。1996年11月には撤去が完了し、かつての朝鮮総督府の建物は歴史の中に消え去ったのでした。この建物が取り壊される様子は、全国にテレビで生中継され、多くの国民が生中継で視聴しました。 現在、朝鮮総督府・米軍政庁・そして韓国の中央庁として機能していた建物の跡には、本来あった光化門と景福宮が堂々と位置しています。再びその姿を現した光化門は現在でも、歴史と文化を象徴する重要な文化財として韓国の中心に聳えています。
台本
光化門(クァンファムン) [金内官(キムネグァン)] 王の大きな徳が国を光らせる光化門(クァンファムン)へようこそ。景福宮(キョンボックン)の南の正門である光化門(クァンファムン)は、朝鮮時代の王室を象徴する役割を果たす門です。朝鮮時代には門を境に内側は景福宮(キョンボックン)、外側は「六曹(ユクジョ)通り」と呼ばれる漢城府(ハンソンブ、現在のソウル市庁の役割をしていた部署)のエリアと国民が生活する鐘路(チョンノ)通りがありました。大勢の人々が往来する光化門(クァンファムン)は、楼閣の上に鐘と太鼓を吊り下げて、時刻を知らせたり通信の役割も果たしました。 [金尚宮(キムサングン)] 「門の前にある一対のへチ(ヘテ)はまるで、その精悍な目つきで『私は正義を護る!』と語っているようですね」 [金内官(キムネグァン)] 「そうでしょう?たぶんこのへチには、六曹(ユクジョ)通りの役人や王が正しい政治を行うように見守っている…という意味が込められているので、そんな感じを受けるのでしょう」 [金尚宮(キムサングン)] 「ヘチが両脇に立ってるなんて、心強いですね!わあ、金内官(キムネグァン)!私、この門は初めて通りますよ!天井に鳳凰が描かれているんですね!」 [金内官(キムネグァン)] 「本当に素晴らしいですね!本来光化門(クァンファムン)は、中国から来た使臣や王族の公的なお出ましの時に利用する門なのです。私も横の門はよく通りましたが、真ん中の門から入るのは初めてで、何だか不思議な気分です。参考までに、左の門は『洛亀負書(ナックィブソ)』と言って亀が描かれているし、右の門は『河馬負書(ハマブソ)』と言って馬が描かれています」 [金尚宮(キムサングン)] 「光化門(クァンファムン)が、2010年にここに戻ってくるまで、どんなに苦労したことか。立派に装うのが当然です!光化門(クァンファムン)は、日本による植民地時代に日本が朝鮮総督府の建物を建設したため、東門である建春門(コンチュンムン)の北側に移されてしまいました。その後、韓国戦争の時に爆撃で破壊され、1968年に復元されました。そして1990年代に中央庁と呼ばれていた朝鮮総督府の建物が取り壊された後、やっと本来あった場所に戻って来たのです」 [金内官(キムネグァン)] 「それで復元する際にそれぞれの隅棟に7つの雑像を置き、背後の北岳山(プガクサン)の尾根と調和をなすよう美的要素も十分に高めました!昔も今も、光化門(クァンファムン)がここにあるというだけで胸がいっぱいになるのは、韓国人なら誰でも感じると思います!」 [金尚宮(キムサングン)] 「あら、珍しく同感です。それではさっそく入場券を買って、本格的に宮中に入りましょう!」
台本
ホン・ゴニク(洪建翊)家屋 このガイドは、キム・ヨンハ(金英夏)さんの声で録音されました。 朝鮮時代の中間階級、中人の居住地だった西村には、様々な時代を代表する韓屋が集まっています。中でも「ホン・ゴニク(洪建翊)家屋」と呼ばれるこの家は、1930年代に建てられた近代の韓屋です。ホン・ゴニク(洪建翊)氏については、残された資料がほとんどありませんが、以前にあった家を取り壊し、今の家を建てた人で、彼の名が付いています。 ホン・ゴニク(洪建翊)氏が暮らす前、ここでコ・ヨンジュ(高永周)という訳官とその家族が住んでいたそうです。コ・ヨンジュ(高永周)氏の家門は父、兄弟、甥の3代にわたって訳官を務めました。「訳官」とは、今でいうと通訳、外交官のような役割を果たしましたが、この職業は、外国人に直接会って交流することができ、多様な文化や新しい情報を素早く得ることができました。そのため中人という身分にもかかわらず、富と名誉を得ることができる仕事でした。 コ・ヨンジュ(高永周)氏は中国語(漢学)を学んで活動した訳官でした。訳官としてもっと有名なのは、彼の兄弟です。二番目の弟であるコ・ヨンヒ(高永喜)氏は日本語訳官として、1876年江華島条約(朝日修好条規)以降、日本に派遣された修信使の一員でした。末っ子のコ・ヨンチョル(高永喆)氏は、中国で英語を学んだ後、米国に報聘使(使節団)として渡って行きました。コ・ヨンジュ(高永周)氏は1910年代にこの土地を売却し、時間が経過してホン・ゴニク(洪建翊)氏が購入するようになりました。ホン・ゴニク(洪建翊)氏が家を建てた当時は今より規模が大きかったのですが、今では半分だけが残されています。 ホン・ゴニク(洪建翊)家屋の一覚門から入ると、家主の嗜好やセンスが引き立ちます。門屋とサランチェは整えられた雰囲気ですが、母屋は、よりリラックスできる空間として感じられます。母屋の開放的な板の間の下部には、太極旗にも用いられている八卦の形の穴があります。この穴は、通気性を高めるという機能的な側面も持っています。近代の韓屋らしく、戸や窓がガラスでできていますが、このようなガラスは、その家の富を表す方法の一つでした。 母屋の左へ進むと、離れ屋と庭園に行く小さな扉があります。入ってすぐ大きな井戸が見えますが、当時、個人宅に井戸がつくれるのは大富豪だけだったそうです。離れ屋は小さな図書館として使用されており、誰でも無料で利用することができます。読みたい本を選んで座布団に座ると、庭園の風景も見渡すことができ、読書の時間を楽しむこともできます。 この家の全景を見たいときは、庭園の頂に登ってみましょう。離れ屋、母屋、サランチェ、門屋の屋根が続いて現在の西村建物と調和する風景は、何とも言えない景色です。庭のベンチに座って、この美しい風景をゆったりと楽しんでみてください。
台本
イ・サン(李箱)の家 このガイドは、キム・ヨンハ(金英夏)さんの声で録音されました。 日本による植民地時代、独特の作品世界で名高かった文学者イ・サン(李箱)氏は、子どもの頃、養子縁組で伯父の家がある通仁洞でずっと育ちます。彼の伯父の家は、本来巨大な韓屋でしたが、後にイ・サン(李箱)氏が譲り受け、事業に失敗すると、家を売らざるをえなくなります。売却された家は、5つの土地に分割され、主が変わりつづけて現在に至っています。現在、イ・サン(李箱)の家がある場所は、その5つに分割された土地の一つです。 イ・サン(李箱)氏の本名はキム・ヘギョン(金海卿)、3歳の時に養子としてこの家にきました。彼の伯父は息子がいなかったので彼を養子として迎え入れましたが、再婚した伯母もイ・サン(李箱)には愛情を見せませんでした。彼は子どもの頃から絵に特に才能を見せましたが、伯父は安定的な職業の建築技師の道を無理やり進ませました。結局イ・サン(李箱)氏は、京城高等工業学校建築科に進学し、建築技師となります。 朝鮮総督府で建築技師として働くようになったイ・サン(李箱)氏は、ペンネームを使って物書きになりますが、主に自分のアイデンティティーと時代の混乱について作品として表現しています。彼のペンネームである「イ・サン(李箱)」もハングルで読むと様々な意味を持っていて、天才的な才能を持つ人の挫折と希望が込められているように見えます。 我々には難解な文学の世界と苦悩のイメージが刻まれていますが、自分の本当の家族には親孝行の息子であり、心強い兄だったそうです。妹の証言によると、「兄は母にいつも丁寧で、何がしてあげたくてどうしようもないという感じだった」といいます。そしてイ・サン(李箱)氏は妹を「私の唯一の理解者」と呼び、大切にしたそうです。 この家は、幼年時代のイ・サン(李箱)氏が抱いていたはずの影と希望が漂う空間です。展示室のもっとも内側、暗い空間で、彼の一生を描いたちょっとした物語に触れることができます。階段の先にある重い引き戸を開けると、イ・サン(李箱)の家の庭と屋根が見えます。自由への扉を見つけるために悩み続けた文学者の家で、自分なりに解釈した理想に出会ってください。
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