オリンピック公園
ソウル特別市 松坡区 オリンピック路424
4つの視点で見るこの場所
KORLENS キュレーション「オリンピック公園」は、百済時代の遺跡と現代的な競技場が共存した森や芝生の美しい余暇空間です。ソウルオリンピックの遺産であるオリンピック公園は、生活水準の向上により、人々の健康に対する意識が高まる中、単なる憩いの場としてだけでなく、韓国最大
す。<br> オリンピック公園は、体育空間、文化芸術空間、歴史と教育の場など、さまざまな用途を持った空間となっており、百済時代初期の遺跡である夢村土城や夢村垓子(人工湖)を中心に、世界的な彫刻作品や記念造形物、88広場、ジョギングコース、
ます。その他にも、各種公演が随時行なわれ、市民の憩いの場としての役割を果たしています。さらに、オリンピックで使われたプールや体操競技場、フェンシング競技場、重量上げ、テニスコート、競輪場などを快適に且つ安く利用出来るようになっています。ソウ
彫刻なども野外に展示されており、文化芸術の空間でもあります。<br> オリンピック公園は、歩いて一周するのに3時間以上かかるくらい広いため、道をあらかじめ頭に入れておくと楽に見て回ることが出来るでしょう。平和の広場の横からホドリ列車(Roa
場所の紹介
オリンピック公園は、体育空間、文化芸術空間、歴史と教育の場など、さまざまな用途を持った空間となっており、百済時代初期の遺跡である夢村土城や夢村垓子(人工湖)を中心に、世界的な彫刻作品や記念造形物、88広場、ジョギングコース、オリンピック文化センターなどがあります。その他にも、各種公演が随時行なわれ、市民の憩いの場としての役割を果たしています。さらに、オリンピックで使われたプールや体操競技場、フェンシング競技場、重量上げ、テニスコート、競輪場などを快適に且つ安く利用出来るようになっています。ソウルオリンピックを記念する有名作家の彫刻なども野外に展示されており、文化芸術の空間でもあります。
オリンピック公園は、歩いて一周するのに3時間以上かかるくらい広いため、道をあらかじめ頭に入れておくと楽に見て回ることが出来るでしょう。平和の広場の横からホドリ列車(Road Train)に乗ることもできます。
位置
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韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
百済初期に土で築かれた城郭、風納土城(プンナプ・トソン) 最初にご覧いただくものは、風納土城(プンナプ・トソン)の城壁の断面です。約1700年前に建てられた風納土城は、近隣に位置する夢村土城(モンチョン・トソン)と共に、漢城百済を象徴する遺跡として広く知られています。 展示されている巨大な城壁の断面は、幅43メートル、高さ10メートル余りの大きさで、実際の城壁の断面を薄く削り取ったものです。幾層にも積み重ねられた土砂の層がくっきりと残されています。 堅固な城を築くことができたのは、洪水や外部からの衝撃に耐えられるよう、一層一層異なった建築資材を積み重ねていく建築工法が用いられたためです。粘り気が出るまで、土砂をよく混ぜ、一定の間隔でこれを積み上げ固めていく技法が用いられました。そのため、風納土城は洪水や外部からの衝撃にもびくともしませんでした。地震にも強いといわれるこのような工法は、日本でも堤防や城壁をつくる際に用いられました。大阪の狭山池(さやまいけ)博物館にも、類似した技法でつくられた堤防の断面が展示されているそうです。 長さ3.5キロメートルの風納土城をこのような技法で建てようとすれば、かなりの人数の人を動員しなければならないことは容易に想像できますね。風納土城は3世紀半ば以降につくられたものと推定されていますが、この時期、漢城百済の王権が以前よりも強化されていたことが分かります。 それでは次に、第一展示室で百済が建国される前のソウルの姿をご覧になった後、第二展示室へと向かって、漢城百済時代の遺物について詳しく見ていくことにしましょう。
台本
土城から出土した漢城百済時代の土器 風納土城(プンナプ・トソン)、夢村土城(モンチョン・トソン)で出土した土器が展示されているのがご覧いただけます。当時、土器は日常生活をはじめ、あらゆる儀式においても多様な形で使用されていました。そのため、生産量も多く、また長くその形を維持できることから、発掘調査の際に最も多く出土した遺物です。 特に風納土城で出土した大量の土器は、質が大変優れており、漢城百済時代、都で従事した職人の技術が非常に高かったことが分かります。地方で出土された土器を見ると、漢城の職人が作ったものなのか、他の地方で作られたものなのかが区別できるほどだそうです。 それでは、展示されている土器を詳しく見てみましょう。赤色や灰色などの違った色をした土器がご覧いただけますが、これらの土器の色は、製作方法によって決まります。3世紀初めにつくられていた赤色のものは、土器を焼く際、窯の中にたくさんの酸素が入るようにすることで、酸化が促進され、このような赤みを帯びた土器になっています。その後、3世紀後半につくられた土器は主に灰色をしていますが、これは赤色の土器とは反対に、窯の中の酸素を極力少なくして焼かれたものです。 次に土器の形を見ると、高坏(たかつき)と呼ばれる器の下部に高い台がつけられたものや、胴部がまるく口縁部が短くまっすぐな姿が特徴的な直立口緣壺、そして3本の脚がついた三足土器などが展示されています。中でも、盤形三足土器と呼ばれる土器は、漢城百済時代にのみ流行したもので、代表的な遺物として挙げられています。
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