ハメル灯台
チョンラナム道麗水市ハメル路96
4つの視点で見るこの場所
KORLENS キュレーションドラマ「ヒップタッチの女王」ムジン村の背景となった実際
の場所の一つ。<ハメル漂流記>作家ヘンドリ
ック・ハメル(Hendrick Hamel)にちなんで
建てられた灯台で、麗水旧港海洋公園の防波堤の端にある。
場所の紹介
位置
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韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
ハメル灯台 1653年、済州島に漂流したオランダ人のヘンドリック・ハメルは、捕らえられてソウルに護送され、同僚とともに康津の全羅兵営城に島流しにされます。流刑地での労役に加え、大飢饉により食べるものが不足していたハメル一行は、順天、南原、麗水に分散されます。ハメルは麗水の全羅左水営に送られ、そこで暮らすことになります。 当時、全羅左水営があった場所は、現在鎮南館がある所で、彼らはここでも労役を強いられました。新しく赴任してきた守使イ・ドビン(李道彬)は、彼らが苦労しているのを気の毒に思い、労役も一部免除し、食べ物も配給しました。さらにはハメル一行が国に帰りたがっていることを知り、海岸に船がたくさんあると、こっそり話してくれたそうです。 1666年9月、ハメル一行は何とか船を手に入れ、祝い事があるふりをして食糧を船に積み込みます。そして引き潮に合わせて麗水を出発し、10日後に長崎に着きます。長崎で調査を受けた彼らは、インドネシアのバタヴィア(現在のジャカルタのオランダ領時代の呼称)を経て1669年、オランダに帰ることができました。 ハメルは、オランダ東インド会社の会計係として務めていました。日本へ向かう途上で破船して韓国に着いたそうです。後に漂流していた期間の賃金が支給されなかったことを知り、漂流過程を記録に残して給料を請求しました。このような内容を記録したのが『ハメル漂流記』(日本では『朝鮮幽囚記』と言う)いう本です。 麗水市は、ハメルが船に乗って出発したと推定される場所に「ハメル記念館」と「ハメル灯台」を建て、ハメルがここで過ごしたことを記憶しています。17世紀、閉鎖的な朝鮮社会に突然現れた異国人はここでとても苦労しましたが、彼が残した記録は、異国人の目から見た朝鮮について知ることができる貴重な資料なのです。 またハメル灯台は、麗水海上ケーブルカーを間近で見られる場所でもあります。それに何より、赤いハメル灯台と青い海、海上ケーブルカーとコブクソン(亀甲船)大橋など、麗水旧市街地の観光スポットを写真に収めることができる人気のフォトゾーンです。あなたもぜひここで思い出の写真を撮ってみてはいかがですか!
台本
亀甲船大橋は、全羅南道麗水市、現在水晶洞と呼ばれる鍾和洞と突山邑牛頭里を結ぶ連陸橋です。「2012麗水世界博覧会」の開催のために博覧会場と突山島を連結した橋梁で、コンクリート斜張橋の形式で突山邑牛頭里から珠三洞まで総延長17kmで開設された道路で、国道代替迂回道路事業の一区間です。 亀甲船大橋は、主塔の高さが90m、径間が230m、橋梁延長744m、トンネル490m、接続道路706mなど1.94kmで、43.2トンが通過できる1等橋梁です。 特に、李舜臣将軍が壬辰倭乱が勃発する前日に亀甲船に地字砲と玄字砲を積んで大砲を撃つ実験を行った海で、鉄鎖防備施設があった場所として仮称「突山2大橋」と指名されましたが、歴史的意味を加えて亀甲船大橋に改称しました。 亀甲船大橋の下にはハメル灯台、ハメル記念館と海洋公園があり、夜間照明施設になっており、夜景が夜の海と調和し、とても美しい姿を誇っています。
台本
麗水市鍾浦海洋公園の中に位置するハメル展示館は、オランダ人の「ヘンドリック・ハメル」を称えるために建設されました。 「ハメル漂流記」でよく知られているオランダのヘンドリック・ハメルとその仲間たちがどのように朝鮮に来ることになり、どのような経路で去ることになったのかを知るため、1653年の済州島漂着から1666年に麗水を離れるまでの13年間の痕跡を集め、彼らが去った場所に2012年10月4日に開館しました。 ハメル報告書は、日本に向かっていたオランダの商人「ヘンドリック・ハメル」が暴風に遭い、済州島に漂流して抑留され、その後麗水に送られた後、脱出して本国に帰るまでの約13年間の記録が書かれている文書で、ハメルが本国に帰還した後、朝鮮で抑留期間に受け取れなかった賃金を東インド会社から受け取るために作成した報告書です。 ハメル展示館第1展示室「回想」では、ここ朝鮮の地に来て13年間の暮らしを回想する内容と、彼が書いたハメル漂流記が展示されています。 第2展示室「帰還」では、17世紀のあまりにも異なっていた朝鮮とオランダの時代背景を比較することができます。外敵の侵入や国難を乗り越え、国防力の強化に努めている朝鮮と海上貿易の黄金期だったオランダの時代的背景がよく示されています。特に、オランダ商船であり、ハメル一行が乗ってきたデ・スペルウェール号の縮小型船が展示されています。 第3展示室「実現」では、ハメル一代記を紹介しています。第4展示室「ビジョン」は、麗水の過去と現在、未来を見せています。
台本
麗水(ヨス)沿岸旅客船ターミナルから出発できる、巨文島(コムンド)、金鰲島(クモド)、上(サン)・下花島(ハファド)など島旅行の簡略紹介 麗水沿岸旅客ターミナルは沿岸の島の旅客はもちろん、各種貨物まで安全に運搬する役割を果たしており、巨文島、金鰲島、上花島(サンハド)、下花島、沙島(サド)、狼島(ナンド)、蓋島(ケド)、鳶島(ヨンド)、巽竹島(ソンチュクト)に行く旅客船を運航しています。 麗水市三山面(サムサンミョン)に属する巨文島は、麗水と済州島(チェジュド)の中間地点に位置する多島海(タドヘ)の最南端の島です。 麗水市南面(ナムミョン)の金鰲島は、32の島嶼で構成される多島海海上国立公園金鰲島地区に属しており、亀に似ていることから「黄金亀」という地名を持つようになりました。金鰲島には、「崖道」の麗水の方言である「ビラン道」が、現在5つのコース・18.5kmで造成され、岸壁の絶壁に沿って歩く自然の道があります。 沙島と鰍島(チュド)は、麗水市華井面(ファジョンミョン)狼島里(ナンドリ)に属し、沙島一帯は2000年12月に中生代白亜紀と推定される恐竜の足跡化石が発見され、天然記念物に指定され、鰍島にも85mの恐竜の足跡の歩行列が残っています。 麗水市華井面に属している蓋島は、朝鮮時代、全羅(チョンラ)左水営(ジャスヨン:水軍の重要な軍営)に付属し、軍馬を育てていた牧場地域で、国難を克服する上で重要な役割を果たしました。 麗水市南面に属している鳶島は、形がトビに似ていることから付けられた名前です。 麗水市三山面の巽竹島は、朝鮮時代、鹿島(ノクト)萬戸(マホ:朝鮮時代の武臣の役職のひとつ)の李大源(イ・デウォン)将軍が戦死した場所で、当時大きな人物を失ったという意味で「損大島(ソンデド)」と呼ばれ、後に「巽竹島」と呼ばれました。
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