西生浦倭城
蔚山広域市 蔚州郡 西生面 西生里
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KORLENS キュレーション「西生浦倭城(ソセンポウェソン)」は、1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮により
築かれた日本式の城です。標高200メートルの山頂に本丸を置き、そこから少し下った中腹に二の丸、
さらに麓に三の丸が配置されました。石垣の高さは6メートル、傾きは15度で城全体の形は長方形です
。本丸には天守閣が築かれ、将軍水という井戸がありました。 <br> ※城の周囲4.2キロメートル
場所の紹介
※城の周囲4.2キロメートル
位置
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韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
韓国に残る、日本が築いた最も大きな城 西生浦倭城(ソセンポ・ウェソン)は、文禄・慶長の役が起こった翌年の1593年、日本の武将・加藤清正(かとうきよまさ)の指揮のもとに築かれた、日本式の城です。文禄・慶長の役の時、韓国の東南海岸を中心に、約30もの日本式の城が築かれました。そのうち最も規模が大きいものが、ここ西生浦倭城で、韓国の山城とは異なり、城壁が幾重にも積み重なっているのが特徴です。 日本式の城は、当時朝鮮の内陸に進撃するための日本軍の拠点として使用され、西生浦倭城は7千人もの兵士が駐留したほど、朝鮮出兵の足がかりとして重要な役割を果たしました。また、文禄・慶長の役の時、のろし台から打ち上げられた信号が機張竹城里(キジャン・チュクソンリ)城と釜山鎮城(プサンジンソン)まで届いたことから、「のろし城」とも呼ばれました。 村の入口にも城郭の跡が見られますが、西生浦倭城の探訪は文化遺産解説士の案内所からが本番です。外部の城郭を挟んで山頂の城塞に登るまでの散策路は、松の大木が茂り、風雅な趣が感じられます。さらに本城に到着すると、名仙(ミョンソン)島と弓なりにカーブした鎮下(チンハ)海水浴場が、パノラマのように目の前に広がります。 日本が築城したこの城郭ですが、日本が撤退した後には、韓国も軍事施設として使用しました。また、破壊された南門の一部を除いては当時の姿をそのまま残していることから、16世紀末の日本城郭研究においても重要な資料として評価されています。
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