Ulsan Culture Street
Seongnam-dong, Jung-gu, Ulsan
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KORLENS キュレーションThere are many art-related attractions, making it a must-see destination for tourists.
The original city center, which was the center of Ulsan's economic development, has been transformed into an Art Street
There are many art-related attractions, making it a must-see destination for tourists.
Every weekend, there are various cultural events such as an art fair, busking performances, street exhibitions, and conc
場所の紹介
位置
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韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
1970~80年代を思わせる裸足の青春道 1970~80年代を思わせる裸足の青春道は、情熱ひとつで昼夜働いた ウルサン(蔚山)工業団地の労働者が仕事帰りに疲れた体を引きずって 当時蔚山一の繁華街だったソンナム(城南)洞でバスを降り、 鼻歌を歌いながら歩いた道です。 こうした路地のノスタルジックな雰囲気を保つため、 2016年からチュンアン(中央)洞都市再生事業の一環として 「裸足の青春道」路地造成事業が始まりました。 音楽ゾーン、映画ゾーン、ファッションゾーンに区域を分け、 それぞれの特色に合わせて絵やオブジェが配置されました。 特に音楽ゾーンには動きを感知するセンサーが設置されており、 人が通ると自動的に70、80年代の音楽が流れ、 郷愁を誘います。 「裸足の青春道」の所々に70、80年代を象徴する キャラクターが設置されています。おどけた表情に天然パーマ気味の長髪、 裾広がりのベルボトムでめかし込んだ蔚山*アジヤが1970~80年代のレトロな世界にいざないます。 ちなみに蔚山では、おじのことを「アジヤ」と呼びます。 夜になると裸足の青春道には華やかなネオンサインが輝き、昼とはまた違った雰囲気です。 路地に沿って古い飲食店や洋服屋、カラオケ店、個性的な酒場が立ち並ぶ裸足の青春道は、 蔚山の歴史と文化を肌で感じられるスポットです。
台本
賑やかな伝統5日市、蔚山城南市場 近所の子どもたちがかくれんぼをして遊ぶ広い空き地。 そこでは5日に一度、賑やかな市が立ちました。 現在ソンナム(城南)プラザがある場所には、もともと池がありました。 1925年に池を埋め立て、そこに城南市場ができました。 初めは小規模ながら牛を売買する牛市や陶器店などができ、 周辺に屋台通りが形成されて多くの若者が訪れるようになりました。 市が立つ日にはキョンジュ(慶州)やミリャン(密陽)はもちろん、 プサン(釜山)やテグ(大邱)からも牛商人が押し寄せて 酒場は人で賑わい、賭け事が行われたりもしました。 特に城南市場は早くからアーケードを設置するなど 他の5日市に先立って現代化され、 市の立つ日は楽劇団の公演が行われ、市場はさらに活気を帯びました。 それから歳月が流れ、1969年に城南市場は常設市場に変わりましたが、 1980年代半ばに火災で焼失し、現在の建物が新しく建てられました。 現在は城南プラザとその周辺に市場が形成されていますが、 かつての5日市のような賑やかさと活気はなくなって久しいです。 昔の市場は思い出の中に消えてしまいましたが、キュービック広場では楽劇団の代わりにバスキングが見られます。小さいながらおいしいお店を探すのも楽しみのひとつです。
台本
牛の餌やりまでしていた銀行 最近はスマートフォンさえあれば送金から取引まで 簡単にできる時代です。 ですが遠い昔、スマートフォンでは絶対にできない 銀行業務がありました。それは牛を預かる業務です。 1907年5月30日、現在はチュン(中)区ソンナム(城南)洞のNH農協銀行がある場所に 「ウルサン(蔚山)金融組合」ができました。金融組合は主に農民や零細な商工業者など 庶民層向けの金融機関で、現在の信用協同組合のようなものでした。 ほとんどの業務は現在の銀行とあまり変わりませんでしたが、 ひとつだけ独特な業務がありました。なんと牛を預かっていたのです。 市が立つ日になると、農民たちは牛を売りに来ていました。 そして牛が売れなかった場合、農民たちは牛を銀行に 担保として預け、お金を借りていったのです。 そのように借りたお金で急を要する支払いを済ませた農民たちは、 次の市の日に牛が売れれば銀行に来てお金を返し、牛を連れていきました。 その代わりに銀行では牛に餌をやり、それまで世話をした費用を受け取りました。 このようなことがよくあったので、銀行には牛の餌やりと世話を専門に担当する スタッフまでいたそうです。 牛の鳴き声がする銀行なんて、今では想像もつかないですね。
台本
64年間毎日日記を書いた男 今日一日したことや天気などを記録しておくことは あまり意味のないことのように思えるかもしれませんが、これを10年以上続けて集めれば ビッグデータとなり、価値が生まれます。 ウルサン(蔚山)には、インターネットよりはるか前に登場したビッグデータ王がいます。 朝鮮王朝第25代王チョルチョン(哲宗)の時代にあたる1850年に蔚山で生まれた シム・ウォングォン(沈遠権)という人物です。 彼はヤンバン(両班、貴族)出身で、初めは科挙という官吏登用試験の合格を目指していましたが、 間もなくその志を捨て、故郷で農業をしながら暮らしました。 彼は20歳だった1870年から臨終を迎える1933年までの 64年にわたり、ほとんど毎日日記を書きました。 『沈遠権日記』の特異な点は、 単にその日の感想や感じたことだけを書いたのではなく、 農村生活をしながら観察した天気、風の方向や強さ、 墓参りや時祭に関する様々な情報を記録した点です。 中でもとりわけ特徴的なのは、長い間米価の動きを 継続的に記録したことです。1876年7月から1933年11月までは 10日に1回のペースで米価を記録しました。 60年以上にわたる物価変動をこれほどよく示す資料は めったにないでしょう。 このような特徴から、沈遠権の日記は キョンサンナム(慶尚南)道有形文化財に指定されました。 朝鮮後期最高のビッグデータ王、沈遠権! その名前を蔚山ツアーのビッグデータに保存してみてはいかがでしょうか。
台本
市が立つ通り「チャントゴル」 妙技のように甕を頭に載せて小走りする女性たち。 背負子いっぱいに荷物を背負って声高に叫ぶ若者たち。 大きな「くり鉢」に野菜や穀物を入れて売るお婆さんたち。 市場と聞いて思い浮かぶ光景ではないでしょうか。 現在「文化の通り」として整備されているチュン(中)区オッキョ(玉橋)洞一帯の通りには ウルサン(蔚山)邑城の市場がありました。 ここは「チャントゴル」という名前で呼ばれていました。 「チャントゴル」とは「市が立つ通り」を意味します。 チャントゴルは毎月5と0がつく日に市が立つ5日市場でした。 1900年代序盤まではソンナム(城南)洞時計塔交差点から 蔚山小学校へ続く道に市が立ち、 解放後は現在のトンホン(東軒)の場所にあった蔚山郡庁と 旧蔚山小学校前の道に沿って東西に市が立ちました。 市が立つ日には道が大勢の人と物であふれかえりました。 当時、ここには蔚山郡庁と郵便局、面事務所、金融組合をはじめ、 商店が立ち並び、近代行政の拠点、商業の中心地に生まれ変わりました。 人とお金が行き交う中で行政と商業が堅固に 発展する過程は、都市の発達過程を示す歴史的資料でもあります。 今日、チャントゴルで飲んだお茶や温かいクッパも、時間が経てば歴史の一コマとして残るのではないでしょうか。
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