Gwanghwamun Market
B172 Sejong-daero, Jongno-gu, Seoul
4つの視点で見るこの場所
KORLENS キュレーションGwanghwamun Market takes place along with the Seoul Lantern Festival to support local small businesses and promote Seoul
al to support local small businesses and promote Seoul night touri
sm. The market features local store owners and businesses that exh
ibit and sell seasonal decor, handcrafted items, and winter snacks.
場所の紹介
位置
こちらもおすすめです
同じカテゴリーの人気スポットオーディオガイド
韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
清渓川(チョンゲチョン)の始まりを告げる場所、清渓(チョンゲ)広場 清渓川は、ソウルの中心部に位置する鐘路(チョンノ)区と中(チュン)区の境目を流れる、全長10.84キロメートルの川です。古からソウルの中心部を流れていた自然の河川、清渓川には、朝鮮時代から600年に渡る韓国の首都、ソウルの歴史が多く残されています。 そんな清渓川のシンボルにもなっているユニークなオブジェが光るここ清渓広場は、周辺のオフィス街で働くサラリーマンをはじめ、ソウル市民や国内外からの観光客が訪れる憩いの場です。 広場の入り口には、青と赤の縞模様がユニークな、巨大な巻貝の形をしたオブジェが立っています。これは、アメリカのポップアーティストのクレス・オルデンバーグと彫刻家のコーシャ・ヴァン・ブリュッゲンが共同で制作した「スプリング」という作品です。 この作品は、韓国の陶磁器をはじめ、伝統衣裳の韓服(ハンボク)、そして韓国を照らす満月から感じた美しさにインスピレーションを受け、制作されたものです。スプリングの内部には天井から水が落ちるようになっており、この水は広場の地面に作られた清渓川のミニチュアを通じ、実際の清渓川へと流れ込むようになっています。清渓川のミニチュアは、川を100分の1に縮小した模型となっています。 古からソウルの中心部を流れていた自然の河川、清渓川は、朝鮮時代に起きた度重なる洪水や、植民地時代・韓国戦争休戦後の激動の時代、そして近代の急成長など、様々な歴史とともに、その姿を変えてきました。その歴史を紐解きながら、都心を流れる豊かな水の流れに沿って、清渓川を散策してみましょう。
台本
朝鮮時代の面影を残す橋、広通橋(クァントンギョ) 広通橋(クァントンギョ)は約600年前、当時土でつくられていたものが大雨で壊れてしまったことを受け、朝鮮第3代王・太宗(テジョン)の命により石造でつくり直された橋です。ここ100年間、清渓川に蓋をした覆蓋工事によって地下に埋まっていた広通橋は、最近になって復元されました。そのため、変色した建設当時の石と、復元の過程で埋め込まれた新しい石とが混ざっているのをご覧いただけます。 橋の下を見ると、繊細な彫刻が施された石を見ることができます。このような彫刻は、高麗時代末期から朝鮮時代初期の王妃たちのお墓、陵(りょう)に刻まれた文様です。実は、この石は本来、朝鮮を建国した初代王・太祖(テジョ)の二人目の夫人・神徳(シンドク)王妃の陵、貞陵(チョンヌン)にあったものです。では、なぜ初代王の王妃の陵の石が、橋の一部として使用されたのでしょうか。 時は遡り、この橋をつくった朝鮮第3代王・太宗が誕生した時のことです。正妃の息子として産まれた太宗ですが、王太子になることはできませんでした。それは一代目の王・太祖の二人目の夫人・神徳王妃が、順番を無視して自分の幼い息子を王太子に据えたからです。このことから、太宗は後に神徳王妃を恨むようになりました。 紆余曲折を経て後に王位に就いた太宗は、復讐のため、この世を去った神徳王妃の陵を他の場所へと移し、陵に使用していた石でこの広通橋を作ったのです。太宗の恨みを晴らすために橋となってしまった神徳王妃の陵の石ですが、この場所は後に王の行幸や外国からの使臣が通る重要な橋となり、また、周辺に多くの商店街がつくられることで、ソウル商業の中心地となりました。 そんな王族間の確執の歴史が残る広通橋ですが、市民たちにとっては特別な場所でもありました。朝鮮時代には、旧暦の1月15日である小正月を盛大に祝いました。人々はその特別な日に、ここ広通橋で様々な行事を行ったのです。昼は橋の上で凧揚げをし、夜は橋を踏むという意味の「タリバブキ」をしました。タリバブキは、橋を渡って足の病気にかからないように祈る行事です。これは韓国語で橋と足が共に「タリ」という同音異義語であることから由来した風習です。 また、当時、小正月は1年を通じて唯一、夜の外出が許される日でした。そのため、様々な身分の人々が、夜通し橋を渡ったそうです。この日は日が暮れると、ピーナッツや胡桃などのナッツ類を食べました。これは、殻を割る時に鳴る「パキッ」という音が、闇に潜む鬼を驚かせ、退治できると考えられていたからです。 朝鮮時代の人々が様々な行事を楽しんだ当時の姿に想いを馳せながら、歴史を持つ広通橋を渡ってみましょう。
台本
スリランカから伝わった舎利が祀られた八角十重塔 通常、寺の境内には、舎利塔が置かれています。曹渓寺(チョゲサ)に位置する舎利塔の内部にも仏の舎利が奉安されていますが、これは1913年、韓国仏教に触れて深く感動したスリランカの僧侶・ダルマパーラが「朝鮮の地で東方の法筵(えん)を編んでほしい」と願い、この場所に安置したといいます。 曹渓寺の仏舎利塔は八角十重でつくられていますが、この数字にも、衆生を仏の境地へと導くための意味が込められています。まず八角は、衆生の苦痛の原因となる貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)、すなわち、貪欲・嫌悪・愚痴の境涯から脱し、悟りの境地へと達するために必要な八つの修行の道、八正道を表しています。そして十の層は、十種類の善良な行いを指す、十善法を象徴しています。 塔の外部には、八如来像、八菩薩像、八神衆像などが刻まれており、内部にはダルマパーラ僧から伝えられた仏の舎利を奉安するとともに、1万4千もの小さな仏像が祀られています。また、1660年、韓国の中西部に位置する恩津(ウンジン)の双渓(サンギェ)寺でつくられた、古い歴史を持つ法華経なども安置されています。 このように、衆生が仏の境地へ達するようにとの願いを込め、八角十重の舎利塔は2009年に新たに建てられました。また、舎利塔と共につくられた寺跡碑には、韓国仏教総本山の健立運動に始まる、現在に至るまでの曹渓宗約80年間の近現代史と共に、曹渓寺の沿革が刻まれています。現在まで生きる韓国仏教の歴史を、ぜひご覧ください。
Nearby places worth pairing
Live distance-sorted picks around Gwanghwamun MarketBook Gwanghwamun Market via our partners
Compare tours, skip-the-line tickets and nearby stays.