KORLENS

선화당(공주)

충청남도 공주시 웅진동

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KORLENS キュレーション
Foreigner
외국인

조선시대 충청도 관찰사가 공무를 집행하던 곳이다.

Couple
커플

도내의 일반 행정·군사·조세 및 중요한 재판이 행해졌다.

Family
가족

원래 태조 4년(1395)에 충주에 설치되었으나 선조 35년(1602)에 공주로 옮겨와 충청도 전체를 관장하는 지방행정의 중심지가 되었다.『여지도서』에는 선화당을 비롯하여 50여 채의 건물과 칸수를 기록하고 있으나,

Solo
솔로

지금의 선화당 건물은 순조 33년(1833)에 지은 것으로, 원래는 공주 사범대학 부속고등학교 자리에 있었으나 1932년 현재의 위치로 옮겨지었다.

場所の紹介

조선시대 충청도 관찰사가 공무를 집행하던 곳이다. 도내의 일반 행정·군사·조세 및 중요한 재판이 행해졌다. 원래 태조 4년(1395)에 충주에 설치되었으나 선조 35년(1602)에 공주로 옮겨와 충청도 전체를 관장하는 지방행정의 중심지가 되었다.『여지도서』에는 선화당을 비롯하여 50여 채의 건물과 칸수를 기록하고 있으나, 지금은 선화당과 포정사 및 삼문, 부속건물 1채만 남아있다. 지금의 선화당 건물은 순조 33년(1833)에 지은 것으로, 원래는 공주 사범대학 부속고등학교 자리에 있었으나 1932년 현재의 위치로 옮겨지었다. 앞면 8칸·옆면 4칸의 규모인데, 원래는 앞면 9칸·옆면 5칸이었던 것이 옮기면서 축소되었다. 지붕의 옆선이 여덟 팔 (八) 자 모양인 화려한 팔작지붕집이다. 내부는 칸을 막지 않고 전체를 통칸으로 하여 넓은 공간을 마련하였고 2열로 기둥을 세웠다. 중앙은 우물 정(井) 자 모양의 천장으로, 주위의 툇간은 서까래가 드러난 연등천장으로 꾸몄다. 임금의 덕을 드러내어 널리 떨치고 백성을 교화하는 건물임을 뜻하는 ‘선화당(宣化堂)’이라는 현판을 앞면 중앙에 달았다. 조선 중기의 수법이 남아있는 조선 후기의 관아 건축으로 웅장한 모습을 보여주고 있다. (출처 : 국가유산청 홈페이지)

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