ソウル夢村土城
ソウル特別市ソンパ区オリンピックロ424
4つの視点で見るこの場所
KORLENS キュレーションソウル夢村土城(モンチョントソン)は、韓国にかつて存在した古代国家の百済が漢城(ハン
ソン)を都にしていた時期に築造された土城です。3世紀~4世紀頃に建造されたと見られ、
漢江(ハンガン)を利用した堀と木柵は防御機能を果たしていました。内部から発掘された百
済の遺跡は、ソウル松波(ソンパ)オリンピック公園にある漢城百済博物館に展示されています。
場所の紹介
位置
こちらもおすすめです
同じカテゴリーの人気スポットオーディオガイド
韓国観光公社 オディ(Odii)による音声解説台本
夢村土城(モンチョン・トソン)の代表的な防衛施設、掘と木柵 夢村土城は、都を敵から守るために造られた城であったため、様々な防御施設が設けられています。その中でも特に目を引くのが、掘と木柵です。 韓国の城は山の上に設置される山城が中心であったのに比べ、日本の城は平らな場所に設けた平城が多かったため、城を守るための掘が比較的多くつくられました。日本の掘は水が張られているものと張られていないものとに分けられますが、韓国の掘はお城の周辺にあった川を掘にするなど、河川を利用して掘を設置することがほとんどでした。 夢村土城で発見された掘も、漢江(ハンガン)と呼ばれる川の支流である城内川(ソンネチョン)の水を利用し、人工的につくられたものでした。現在のオリンピック公園内にある二つの湖、すなわち夢村湖(モンチョンホ)とオリンピック公園の88湖水(パルパルホス)は、当時の夢村土城を囲んでいた水掘を再現したものです。 次に、木柵について見ていきましょう。夢村土城の中を歩いていくと、復元された木柵が現れ、どのようなつくりであったのかを詳しく見ることができます。地面の岩盤層に穴を開け、木の杭を一定の間隔で埋めた後、その周囲にさらに補助杭を立て、支える方法でつくられました。高さは優に2メートルはあったのではないかと推定されています。木柵は、夢村土城の東側と西側の土塁で発見されたのですが、この他にも随所に防御用の木柵が設置されていたと考えられています。 夢村土城に侵入しようとした敵は、まず、第一関門である掘を越えるために、船を浮かべたり、橋を架けたりしなければならなかったはずです。万が一掘を越えるのに成功したとしても、城を攻撃するために放った敵の弓は、高く設置された木柵に突き刺さったことでしょう。このように木柵は、敵が簡単に城に攻め入ることができないよう、第2次防衛線としての役割を担っていたと考えられます。 現在はのどかな風景が広がる場所ですが、当時は敵の侵入を防ぐため、常に緊迫した雰囲気が漂っていたであろう、ここ夢村土城。当時に想いを馳せながら、さらに進んでみましょう。
台本
夢村土城(モンチョン・トソン)で発見された31の貯蔵穴 夢村土城の中にある百済住居跡展示館には、土城内で発見された貯蔵用の穴などが展示されています。貯蔵穴の外観は円形ですが、入り口が狭く、中は底が広いフラスコのような形をしています。夢村土城では、このように地面に掘られた穴が全部で31個も見つかりました。 実は、現在までこのような穴が一体何のために使用されたのかは、明らかにされていません。しかし、貯蔵穴と呼ぶのには理由があるのです。 このような穴は、これまでも青銅器時代の住居地から多く発見されてきました。ここ夢村土城でも、百済時代の住居形態であった竪穴式住居の周辺で多く発見されました。発見された穴は、内部の温度を一定に保てるため、食べ物を保管する用途でつくられたと考えられています。百済の人々は、家の周辺に食べ物を保管しておき、必要な時に取り出して食べたのでしょう。 夢村土城で発見された穴のうち、いくつかの穴からは土器なども一緒に発見されました。これは、当時の人々が祭祀の際に用いた土器や食べ物を一緒に埋めたものだと考えられています。また、高句麗時代の土器も一緒に出土されたことから、ここ夢村土城が百済の滅亡後にも使用されていたことが明らかになっています。
Nearby places worth pairing
Live distance-sorted picks around ソウル夢村土城(서울 몽촌토성)Book ソウル夢村土城(서울 몽촌토성) via our partners
Compare tours, skip-the-line tickets and nearby stays.